after the rose withered

 大人になった今でも、時折、同じ夢を見ることがある。
 咲きかけの淡い薔薇が一つ残らず枯れ果てて、もはや誰の目にも留まらなくなった寂しい庭の片隅。激しさはなくとも、降り続く雨でぬかるんだ地面に散る花びらが何色だったのか思い出すことさえ叶わず――私は、いつもそこにひとりきりで佇んでいた。
 そうしてこの夢を見る度に、子どもだった自分の鈍さを振り返る。真正面からぶつかりあうのが怖くて、諦めてしまった過去の私にも呆れていたあなたは、今頃どんな風に過ごしているのだろう。

 ごめんなさい、と伝えたところでどうして今更、と言われるだけかもしれない。
 或いは、私の存在なんてとっくに忘れ去られていて、誰だっけ? と、首を傾げられて終わるかもしれない。むしろ、そうであったらいいとすら思う。

 ただ、あなたが元気で、あの街で暮らしている姿を一目見ることができたなら。
 その時ようやく、私も懐かしい夢から覚めて新しい場所に歩いていける。そんな気がしたのだ。






「氷室って、あの先輩とよく一緒にいるよな」
「は? 何、いきなり」

 高校二年生の冬、友達に助けてもらいながら用意していた手作りのチョコレート。ラッピングも色々と考えて、当時の私が精一杯の気持ちを込めたそれをなるべく早く手渡したくて。逸る心のまま、一年生の教室に向かっている途中で聞こえてきたのは彼と同級生の男の子の会話だった。

「来年のローズクイーン候補としても、噂になっている人だろ? どうやって氷室がお近付きになったのか知らないけど、うちの学年の女子たちからも最近、名前が出てくるよな」
「……、別に。あの人から、僕に絡んでくるだけの関係だし」
「そんなこと言って、おまえの方だって満更でもないんじゃないの? 何回か、氷室とあの先輩が話しているところを見たことあるけど、いつも楽しそうにしていたじゃん」
「ふうん。第三者からだと、そういう風に見えているのか」
「えっ、その反応だと違うの?」
「違う、というかなんというか……まあ、戸惑っていないといえば嘘にはなる、かな。正直、この学校で同じ部活や委員会に属しているわけでもない先輩が、わざわざ声をかけてくる理由が僕にも分からなくて」

 ――もっと、他に目を向けるべきことだってあるだろうに、ほんとお人好しだよね。

 呆れたような声音ではっきりと告げられた瞬間、それまで期待に満ちていた私の心が分かりやすく萎んでいく。もし、ここでチョコレートを落としたらきっと盗み聞きしていたと思われて、更に呆れられてしまいそうで怖かった。
 だから彼の前に飛び出す勇気どころか、この一年で少しは仲良くなれたのではないか、と勝手に思っていた自分自身が急に恥ずかしくなってきて。結局、私は一紀くんに声をかけられず来た道を引き返し、せっかくつくったチョコレートもそのまま家まで持ち帰った。

 それから部屋の中で食べた、彼に渡せなかったチョコレートは甘いのにどこかほろ苦く。
 この日の出来事が、結果として、もうすぐ三年生になるのだしもっとしっかりしなければいけない、と人知れず私が奮起するきっかけとなったのも事実だった。






 春の花屋さんは色とりどりの花に囲まれて、華やかな一方で特に忙しそうにも見える。
 卒業や入学直前のシーズンであるのもそうだけど、今日はホワイトデー間近なためにいつもより男性のお客さんが多く来ている影響もあるのだろう。
 久し振りにはばたき市まで足を向けてみたものの、果たしてこの店にまだ彼がいるのかどうか。なおかつ、運良く会えたところで私だと気付いてもらえるか、私には全く予想がついていなかった。
 それでも、かつてチョコレートを渡せなかった過去の私への慰めも兼ねて花束をつくってもらっていると、終わりがけに店の奥から出てきた彼と視線が重なる。

「先輩……?」
「一紀くん。ひさしぶり」

(彼の中で――私は、忘れられていなかった)

 それを理解できたことで、ここに来るまで張り詰めていた気持ちがふっと緩んで。花束を受け取りながら、私は彼に対してごく自然に笑みを浮かべることができていた。
 たくさん悩みもしたものの、今日の内にアンネリーへ訪れてみてよかった。そう思いながらお店の入口に向かっていると、どうしてか焦った表情の一紀くんも私の方についてくる。

「先輩、もう帰っちゃうの?」
「うん。お客さん、多いみたいだし、花束も受け取ったのにうろうろしていたら迷惑がかかるでしょう?」
「そんなこと、……ああ、えっと。あのさ、もし先輩に急ぎの用事とかなければ、もうちょっとだけ待ってもらえないかな」
「え?」
「勝手なことを言っているって、僕が一番よく分かってる。でも、今日のシフトは午前中だけで、この後、ちょうど他の人と入れ替わるタイミングだったから」

 改めて用事がないかと尋ねられて、特に何もないことを伝えると再度店先で待っていてほしい、とだけ言った一紀くんが奥に戻っていく。

(……会えただけで、充分だったはずなのに)

 時が経っても、私を覚えていてくれたことが本当は嬉しくてたまらなかった。
 けれどもそれで、会わなかった間の距離が今すぐ埋まるわけではないことも分かっていたから、過剰に期待するのは止めておいた方が賢明なのだろう。
 そう考えた私は、外に出て彼を待つ間、胸元に抱えた甘い花々の香りに顔を寄せることでどうにか気を紛らわせようとする。緩やかな風が髪を揺らして、ああ、今年もまた新しい春がめぐってきたのだと今更なことを思っていた。