寄り添う愛の形

 たとえ君は僕がどんな色の、どんな花を贈ったとしても、きっと喜んでくれるのだろう。
 その確信があったからこそ、これから迎える人生の節目にはどんな花を贈るべきか――彼女と同じ家で暮らすようになった頃から、人知れず僕は思案していた。
 敢えて薔薇以外の花も候補にしてはいたが、大人になった今でさえ鈍感なところがある彼女のこと。ひねりすぎて伝わらないのでは僕が困ってしまうので、結局贈る花は薔薇だけにしようと決めた後、本数、色、或いはそれらの組み合わせによっても異なる花言葉を調べ尽くしたうえでひたすら練習を重ねてきた。この時ほど、高校生の頃のアルバイトが花屋だった自分を誇らしく思ったことはない。

「とっても素敵な花束ね。見ているこちらも、惚れ惚れとしてしまうわ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、僕もより自信が持てます」

 持ち手に彼女の髪とよく似ているピンク色のリボンを結び、ラッピングの仕上げも整えていたところでアンネリーの店長から声をかけられる。思えば店長にも、これまで花のことだけではなく、異性の心情について知るという点で色々と助けてもらったものだ。
 未だに花束を眺め感嘆の溜め息を洩らしていた店長に向かい、僕はそっと頭を下げた。

「あら。どうしたの、氷室くん?」
「お忙しいところ僕の我儘を受け入れてくださり、ありがとうございました。自宅だと、僕が渡す前に彼女が見つけてしまう可能性もあったので……本当に、お世話になりました」
「ふふっ、我儘だなんてそんな。花屋として、あなたの力になれたのならばよかったわ。ちなみに、日取りが決まったらまた教えてもらえるかしら?個人的にもお祝いしたいから」
「はい。次に連絡する時は、いいご報告ができると思います」
「そう。その時を、私も楽しみにしているわ。それじゃあ氷室くん、頑張ってね」

 最後まで朗らかな笑顔を浮かべていた店長に見送られつつ、やっと納得がいく出来栄えになった花束も携えてアンネリーを後にする。こんなにも胸がどきどきとしているのは、あの教会で、彼女に僕の想いを告げた時以来だろうか。
 一刻も早く大好きな人に会いたくて、今すぐにでも駆け出したい気持ちをどうにか抑えながら、なるべく慎重な足取りで帰り道を一人歩く。

(せっかく、君への想いを込めてつくったこの花束が、転んで台無しにでもなったらそれこそ立ち直れなくなるだろうから。大事な時こそ、いったん冷静にならないと)

 自宅までの距離が近づくにつれ、胸の高鳴りとともにいよいよ緊張も増してきた自分自身の心を落ち着かせるべく、玄関の扉前に辿り着いたタイミングでゆっくり深呼吸する。そうしてここまで何事もなく、彩りを失っていない花束を見下ろして覚悟を決めた僕は、普段どおりを装いそのまま玄関の扉を開けた。

「ただいま、さん。今帰ったよ」

 事前に今日はいつもより遅くなると知らせていたから、おかえりなさい、という柔らかな声は聞こえたものの彼女がこちらまで駆け寄ってくる気配はなく。そのことに安堵と、ほんの少し物足りなさも覚えてしまったが、ひとまず靴を脱ぐとまっすぐに奥へ進む。

「一紀くん、今日も一日お疲れさま。もう少しで晩ご飯ができるからね」

 そう言って台所に立っていた彼女は、こちらを振り返らず慣れた手つきでフライパンを振るっている最中だった。ふわりと漂ってくるいい香りから察するに、どうやら今夜の献立はオムライスとコンソメスープがメインのようだ。

「先に伝えておいたとはいえ、遅くなってごめん。僕も、何か手伝おうか?」
「ううん、あとほんの少しだから大丈夫。先に座っていていいよ」

 フライパンを振るい終わり、盛りつけも行っている彼女からはそんな風に言われたが、言葉どおり椅子には座らず彼女の背後まで歩み寄る。

(二人きりの今だからこそ――僕の気持ちの全て。どうか、伝わりますように)

 そんな祈りも込めて、再び彼女の名前を呼ぶとてっきり食事が待ちきれないとでも思われたのだろうか。
 こちらを振り返った彼女は、僕が持っている花束を見つけて一瞬きょとんとしていたが、その数秒後にはすっかり瞳を輝かせていた。

「わあっ、綺麗な花束……もしかして、一紀くんがつくったの?」
「うん。どうしても、これは他の人に任せたくなかったから」
「あれ?でも今日って、二人とも誕生日じゃないし。特に記念日ではなかった、よね?」

 自分だけが何か記念日を忘れてしまっている可能性に思い当たり、珍しく焦った様子であたふたとしはじめた彼女を目の当たりにして、図らずも心が和む。
 仮にそうだったとしても、僕とて時を重ねてきた分、大人になった自負があるから怒るつもりなんてなかったのだけれど。一つ年上でありながら、今日もたくさん表情を見せてくれる彼女のおかげでほどよく緊張が抜けた僕は、自然と笑みを零していた。

「一紀くん?」
「そう慌てなくても大丈夫。お互いの誕生日じゃなくて、世間的なイベントの日でもないっていう君の認識は間違っていない。ただ一つ、僕から補足させてもらうと……僕ら二人にとっての記念日に、これから今日が追加される予定、といったところかな」

 この言い方でもどうもピンとこなかったらしく、首を傾げた彼女へよく見えるようにと心がけ、改めて僕が今回つくった花束を差し出す。
 六本の白い薔薇と、五本のピンクの薔薇。
 それからたった一本だけ赤い薔薇の、合計十二本で構成されているこの花束に限っては、先に述べたとおりどうしても自分と彼女以外の人には触れてほしくない代物だった。

「白の薔薇には、深い尊敬と純潔を。六本の薔薇は、お互いに敬い、愛し、分かち合っていきたいという、僕自身の誓いも込めて」
「……えっ、」

 かつて僕が贈った宝石よりつくり出され、今なお美しい光を放つ婚約指輪を身に着けてくれていた彼女の左手を取り、その柔らかな手の上へと口づける。

「ピンクの薔薇には、これまでの感謝と、感銘を。五本の薔薇は、……今思い出しても、最悪な出会い方ではあったけれど。それでも、僕が君に出逢えたことへの喜びも込めて」

 突然の説明に、困惑している彼女へ顔を寄せてみれば咄嗟に目を閉じられてしまったが、瞼の上からでも構わず、なるべくそこにも優しいキスを落としていく。

「んっ、」
「たった一本の赤い薔薇には、君を愛してやまない心。そして、十二本という数には……僕の妻になってほしい、という、何よりも譲れない願いを込めて、」

 いつしかお互いの吐息さえ混じりあいそうなほど、更に近づいた僕は彼女から拒まれはしなかったのを良いことに、とうとう甘く彼女の唇を食んだ。身体がひどく火照っている。二人とも、わざわざ鏡を見なくたって顔中真っ赤になっているのは、もはやとっくの昔に分かりきっていたことだった。

「僕は、……君の隣で幸せになりたい。君に対するこれまでと、これからの気持ち全部。この花束に込めたんだ。だから、だからね、さん」

 ――愛しています。どうか、僕と結婚してください。君の未来を、僕に、ください。

 そこまでどうにか宣言して、半ば押しつけるかの如く彼女に花束を持たせたのは決して褒められた行為ではなかったが、今更突き返されたらどうしよう、と言いようのない不安に襲われて若干俯く。溢れんばかりの愛ゆえに、たどたどしくも必死で伝えたかったこの気持ちが、万が一、彼女にとっては迷惑なものだったとしたら。
 花束をつくり終わった時にはあんなにも自信満々だったはずなのに、いざとなると悪い想像ばかりが駆け巡り、思わず頭を抱えそうになったところでぎゅっと手を握られた。
 そうして僕のよりも小さく、柔くて、尚且つ心強さをも感じるその手から伝わってきた温もりにばかり気を取られていると、彼女の頭が突然僕の胸元へとくっつけられる。

「一紀くんの心音。今、すっごく、どきどきしてる……」
「っ、」
「一紀くん。こんなに頑張って伝えてくれて、ありがとう。ちょっとびっくりしちゃったけど、一紀くんの気持ちが込められた素敵な花束。綺麗で、可愛くて、本当に嬉しかった」
「そ、それじゃあ、」
「うん。私でよければ、……ううん、違うね。私も、一紀くんのことを愛しているから」

 ――二人で、もっと幸せになるためにも、喜んで。私たち、結婚しましょう。

 大事そうに僕から渡された薔薇の花束を抱え、涙目で微笑んでくれた彼女に、胸の中がひたすらにあったかい気持ちで満たされる。嬉しくて、幸せで、もう一度キスしたいなと思って彼女の頬に手を添えた瞬間。ぐう、と目の前から聞こえた可愛い音により、彼女の顔が一気に赤く染まったことで僕も何が起きたのかを悟った。

「ふ、あははっ、……さんってば、ほんと、最高」
「だ、だって、元々は晩ご飯をつくっていた途中で普通にお腹が空きはじめていたし……~もうっ、一紀くんのいじわる!」

 ついさっきまで二人の間に流れていたはずの甘い空気はなくなり、今度は拗ねた表情で薔薇を生けるための花瓶を取り出そうと試みた彼女を宥めると、中断となっていた食事の用意も兼ねて、家の中をしばらく色鮮やかな薔薇たちが彩ることとなった。

 この日、一緒に食べたオムライスはいつもと変わらない味だったはずなのに、なぜだか優しさと甘酸っぱさを感じた。ずっと気恥ずかしそうに、それでいて、嬉しそうに微笑んでもいた彼女と目が合えば。僕も僕で、未来への希望にどうしようもなく心が弾んで。
 つまりはこれこそ、幸せの味というやつだったのだろう、と今なお僕は信じている。

 ――僕の気持ち、受けとめてくれてありがとう。結婚してからも、どうかよろしくね。