※Pixivに上げている分(発売前に書いていたもの)はネームレスですがこちらでは名字のみ変換の仕様へ変更+一紀の口調等も少々修正しています。






 普段の自分なら、わざわざ騒がしいところに行こうとは思わない。
 それならいっそ海の波に揺られていた方が、幾分か気分もマシだし、よほどの理由でもなければただでさえ人が増える休日に街を出歩くなんて、きっと僕にとっては気が滅入ることだろうとも考えていた。
 ……だというのに高校の先輩、しかも女子とふたりきりでまさかショッピングモールへ買い物に来る日が訪れるなんて、昔の僕が知ったなら相当驚いていたに違いない。


「さっきの子、お母さんたちとまた会えてよかったね」

 にこやかに微笑みながら、心なしか弾んだ声で喋る先輩が僕の隣に並ぶ。
 さっきの子、というのは、それなりに広いモールで先輩といくつか店を回っていた最中に出会った迷子の女の子のことだ。大声こそ上げていなかったものの、涙目でぽつんとベンチに座っていた小学校低学年ぐらいのその子を見つけるやいなやすぐさま駆け寄っていった彼女との会話を整理するに、どうも一緒に来ていた家族とはぐれて途方に暮れていたところだったらしい。

『一紀くん。ちょっと案内所まで行ってくるから、本屋さんとかで待っていてくれる?』

 安心させてあげたかったのか、女の子と手を繋いだ先輩からの暗に僕もそちらへ付いていく、という可能性すら考えていなさそうな何気ない言葉に――どうしてか、僕はほんの少しだけ苛ついて。
 その後、結局僕も彼女とともに案内所まで向かったものの、ごく短時間ですっかり先輩に懐いた女の子からしぶとく引き留められるという予想外の事態も起きたのだが、案内所から流されたアナウンスを聞いて駆けつけてきた家族と女の子が無事再会できたため、ようやく二人とも解放されたばかりというのが現在の状況だった。

「また家族と会えたのがよかった、という点については、僕も同意だけど」
「?」
「あんな小さい子供を先輩だけに任せて、その場でのうのうと待ち続けているような……君にとっての僕って、そんなに頼りないの?」

 何気ない言葉に過ぎないのだ、と頭ではちゃんと分かっていたはずなのに。
 溜め息とともに口をついて出てきたのは、ともすれば先輩の僕に対する印象を咎めている風にも聞こえる刺々しい一言で、言ってしまった後になってじんわりと後悔が滲む。

(本当は、君のことを責めたかったわけじゃない)

 けれど、僕のその考えがはっきりと先輩自身に伝わるかどうかというのはまた別の問題で。雑踏の中流れる気まずい沈黙にどうしたものか、と考えあぐねていると、不意に自分の手が柔らかくも小さな温もりにそっと包まれていた。

「頼りないどころか、一紀くんはとてもしっかりした人だと思っているけどなあ。私は」
「……え、」

 高校に入学してから、今日みたいに先輩と出かける日は何度かあったが僕らはあくまでも『先輩』と『後輩』という関係性であって、少なくともお互いに手を繋ぐほどの親密さは、未だ僕らの間には無いものだと思っていた。
 しかしそんな僕の思いに反し、予想していたよりも小さかった先輩の手は無理に指を絡めるでもなく、ただ優しく今も僕の手に触れ続けていて。
 情けないことにそのまま様子を窺っていると、僕を見上げた彼女は、すらすらと軽やかな言の葉の数々を紡いでゆく。

「さっきはね、一紀くんにまで付いてきてもらうのも悪いかなと思って本屋さんを提案してみたんだけど。万が一、私とあの女の子だけで行った矢先に何かあったらって、心配してくれたんでしょう?」

 ――だから頼りないどころか、一紀くんはむしろ周囲をよく見てくれていると思うし。一緒にいると、うっかり私の方が年上なことも忘れそうになるくらい安心して過ごせるから、一紀くんに呆れられてしまわない限りは、またこうして遊びにいけたら嬉しいよ。

「……って、ちゃんと許可も取っていなかったのに繋ぎすぎちゃったね。ごめんね、」

 もう離すから、とそれまでは平気そうだったくせに今更距離を取ろうとした先輩の手が離れきってしまうよりも早く、咄嗟に自分からその手を掴む。
 流石に僕にも指を絡めるまでの勇気は無くて、柔い彼女の手を取るだけで本当に精一杯だったのだけれど。とりあえず、僕から触れられても嫌がる素振りを見せない先輩の姿に内心安堵したことを、目の前で惚けている本人には幸運にも悟られていないらしい。

「えっ、あの、一紀くん……?」
「そっちから繋いできたんだから。僕が離さなくても、君に文句は無いでしょう?」
「ああ、うん。確かに、文句は無いよ。無いけど、」
「けど?何?」

 決して嫌がられてはいないのをいいことに、繋いだ手はそのままでわざと先輩の顔を覗きこむと、ほんのり赤く色付いた彼女の耳朶を見つけて一瞬心の奥底がざわめく。

「一紀くん、手もしっかりしていて素敵だなあ、って考えたら。ちょっと、いや、結構どきどきしました」
「……、……そう。じゃあ、しばらくはこのまま離さないでおくから。覚悟してね」

 僕のこの宣言に対して思いきり動揺する彼女を余所に、僕自身は何ともない振りをして足を踏み出す。

「ほら。時間は有限なんだから、次に行きたいところちゃんと教えてよ、先輩」

(せいぜい君も、僕のことを後輩以上に男として意識してしまえばいいのに、)

 だって、そうじゃないと。
 そうなってもらわないと。

 ――僕ばかり、不覚にも可愛いと思ってしまった年上の君に翻弄され続けるなんて、狡いことこの上ないじゃないか。